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東京通信:コピーライターが想う、食べるの本質 vol.1


この記事のライティングは
おとしのエリー:ブランディングプランナー・コピーライター。3 人男子の母。食や暮らし分野の広告業界に身を置き、30 年余り。数多のお仕事案件や子育て、介護等から学び得た気づきをゆるく発信します。

Vol.1 だれもとり残さない食育って

世は、売らんかなの広告・販促時代を経て、その企業の社会的存在価値が語られるブランドコミュニケーションの時代になりました。食の分野でも地球にやさしいことはもちろん、
「誰もとり残さない食育」が大切になってきていると思います。

食べることは生きること、これは人類、というより生物の永遠のテーマですね。

   コミュニケーションでもある食

「温かいうちに食べてね」「これ、今が旬でね」「おいしいね」「ごはんだよ~」「好きなもの最後に残す派だね」「味変して食べてみない?」「「マメに働けますようって黒豆を食べるんだよ」

なんて、食べる時は人と人との会話も生まれ、つながりもふくらみます。

さらに、おいしく食べてほしいという生産者の想い、栄養や食べやすさに配慮した作り方、食べ方、目にもうれしい彩りを考えた盛りつけ等、食には、いろいろなコミュニケーションメッセージが含まれているんですね。

   あなたにとって「食」とは?

今や、あふれる情報や商品がある中で、食卓は豪華なものからシンプルなものまで多種多様。それは経済事情を除くと、「食」との向き合い方や文化がそれぞれだからでしょうか。

たとえば、ブランド産地で人の手をかけて育った素材を、五つ星レストランのシェフが栄養バランスも考えて仕立てた料理を家族で談笑しながら食べる。

住み慣れた団地の部屋で、パンのミミをフレンチトーストにして一人で食べる。

抜群の眺望を誇る都内タワーマンションの20畳のリビングで、カップ麺を一人すする。

家族で調達した材料を使い、みんなでつくったおでんをにぎやかに食べる。

こども食堂で、近所の顔見知りと話をしながら温かい手づくり料理を食べる。

残業終わりに財布の中身を気にしながら牛丼屋で一番安いメニューを一人かきこむ。

待てない子どもにレンジアップのスナックをかじらせながら、一皿完結のおかずをつくり食べる。これは、子育て全盛期の私です。

どれも、「食べる」という行為なのですが、「すする」「かじる」「かきこむ」と表現してしまうような食べ方はあまり楽しそうではありません。困窮している食卓ならなおさらです。

何がしあわせ?

あなたにとって「食」とは何でしょうか。

   だれもとり残さない食育には自由がほしい。

「食」は、生きる基本であり、楽しみだったよね。と時々思い出してみたいと思うのです。

しかし、年代を問わず「食材の生まれを想像する」「買い物に行く」「調理をする」という習慣が身についていなければ、適切な材料のチョイスもちょうどいい量もわからない。それも、えいやっ!とエネルギーを絞り出して作った料理がまずかったら二度と作りたくなくなる。一歩外に出ればコンビニにお弁当やカップ麺も売られているのですから。

これは、とても不自由だと感じます。

選んでいるようで選んでいない。もっと、尊厳ともいえる、自由があっていいはずなのですね。

食も健康も自己責任だよねという風潮もありますが、それを超えて語られるべきことなんだろうなと感じています。社会情勢も知りながら、みんなの様子もちょっぴり考えて、自分の食生活を考える。

だれもとり残さない食って、

自由があって、感謝があって、お互いさまっていえることなんじゃないかと思うわけです。

そのために、だれもがしかるべき知識や経験と、ほんの少しの想像力と人とのつながりが持てるように。

半径5メートルから、はじめています。